とりとめがないまま、ただ、私の思いを…
往々にして国のシステムというものは、目に見えない何かの減税などと、財源の配分などがある為に、結局その場しのぎになりがちですが、
親が安心して子育てが出来る環境というのは、「子育てには、そう思っていた以上にはお金はかからない」と実感できる環境です

義務教育と言われつつ、公立中学校へ入学するのに最初に制服代、規定で決まられた通学靴やカバン、そして補助教材…。しめておよそ10万円ほどの費用がかかります。

給食費は別として(これは教育部分ではありません…学校の休みの日には親が家で食べさせるでしょうから)、
義務教育なら、社会保障のシステムで、そういう費用は、国かあるいは市町村が負担準備するべきではないでしょうか。それは教育を受けさせる親の義務という考え方でしょうが、そういう面もあるから、「トータルな面」で子どもを持つとお金がかかる…となってしまうのです。

また、土曜日の授業がないことでの年間授業時間の減少により生じる学力の低下…。
これは、塾に通わせないといけなくなってしまう元凶でもあり、親の経済力の差で子どもの学力に差が生じてきてしまいます。

これについても私は、今一度学校は土曜日の授業を再開して欲しいのです。文部科学省は「脱・ゆとり教育」で既に土曜日の授業化を認めていますが、実際は「市町村教育委員会の行政の裁量」で独自に決められますので、この熊本県においても、一部の市町村では隔週で土曜日の学校を始めてはいます。しかし、「隔週」ではなく、「毎週」に出来ないものかと考えます。


その他にも、子どもへの扶養手当、医療制度、でも関係してきます。

ファイナンシャルプランナー(FP)として、それは色々な家庭を見て来ました。
そこで見えたことは、

一般的に…(見てきた多くの中での一般的にという意味です)、夫婦に会話があるご家庭には、笑顔があり、とてもうまくいっているということです。

夫婦に会話がある家庭というのは…

このことは、金銭教育の講演などでもお話しをさせて戴いておりますが、
母親が子どもを大事にするというのは一般的には当たり前とも言えるのでしょうが、
特に、父親が子どもに関心があり会話があるという家庭では、それが夫婦間にも共通の話題を共有でき、会話を生じさせる結果となっているようです。
(我が家も、私がPTAの会長をするようになって、妻以上に学校の事に詳しくなってしまうので、必然的に子供を介する話題が会話になって夫婦関係を、とても良くしたようです。)


つまり、
父親が子育てに関心(変な押し付け教育ではありません)がある…、子どもとの「かかわる時間を持っている」家庭というのが、家族全体が笑顔に包まれていると言えるのでしょう
(よくドラマなんかでも、家庭や子どもに関心どころか会話もなく、俺は仕事が忙しい…なんて言ってるシーンでも夫婦間にはヒビが入っていますよね^^;そういうことです。 )

しかしながら、
「えー!うちは離婚しても笑顔でやってるわよ!!」なんておっしゃられる方も多々おられると存じます。
勿論、それはそれで素敵なことです。私もクライアントさんにそのような方が何人も?(笑)おられるので、誤解のないように申しておきますが、そのような方にも、社会の色んなハンデや壁にぶつかったとしても、もちろん常日頃から応援させて戴いております。
頑張って生きておられる姿…子どもさんがおられれば、むしろイイ教育だと思います。子どもさんも「頑張れる人」になれるはずです。

運悪く…離婚に至られたという方々…

ある意味、結婚というものは「運・不運」があるものですよね。結婚してから何かの歯車が崩れてしまって、残念ながら離婚に至るという方も多いでしょうし、実際のところ、全国的にも、たくさんの夫婦が離婚していると思います。
しかし、多くがそうならないように「努力」をなさっておられるでしょうし、何より誰しもが…、最初から離婚を前提に結婚はしないでしょうから、あとは努力次第ということでしょうね。
(以前、凄い名言を結婚式のスピーチで言われた方がおられました。
「結婚とは…、3週間恋をして、3ヶ月愛し合い、3年間努力して30年我慢するもの」だそうです。うーん、ある意味名言!

確かに私も、少なからずもそう思うところがあります。ただ、我慢という言葉がそれぞれ違っていて…、
私はこう思うのです。

一般的に、「恋」というのは、
互いの感情をぶつけ合うもので、互いに、面と向かってするものですが、
「結婚」とは、互いが向かい合わなくても意思が通じていて、二人が同じ方向に向かって歩いていくものだと…。(恋愛の達人みたいだな^^; )

つまり、
元々赤の他人がくっついてしまったものが夫婦ですので、「どれだけ相手を許し合えるのか?」の年月の繰り返しだと思うのです。それが、ある人には我慢という言葉にもなるのでしょう。(歴史のあられるご夫婦は、ウンウンなるほどなどと思ってたり^^; )

運悪くご夫婦でなくなった方々でも、それはそれで、それぞれの幸せを見つけていかれるのですから、何も…、誰も文句は言わないはずですし、離婚した方がむしろ幸せなご家庭もあるものですしね。

但し…、
FPという立場から言わせて戴くのであれば…、

世の中というものは、どうしても男社会で色々な面が形成されています。女性の場合、加齢をしての再就職は仲々難しいでしょうし、手に職でもあれば…なんてことが現実ですしね(悲)。

子どもがいれば、親権だとか監護権だとかでモメたりして、どっちに子どもは行くんだ?ということもありますが、多くは母親が子どもを引き取っていますよね。
これについては、私は「精神的」な面では同感します。
子どもというものは、母親がお腹を痛めて生まれて来たものですので、基本的には「子どもは母親のもの」だと思います。
もちろん、父親はいつまでも父親ですし、中には、母親が子どものことを、「子どもさえいなければ私だって…」なんてことを聞くこともありますが…、やはり、どちらのものなのかを究極の選択をするとすれば、母親のものなのでしょうね。

(ちなみに私は、私自身が母子家庭で育ちましたので、親となった今は、子ども「命」ですから、最初から夫婦がそうなってしまわないよう努力しております(笑))

そういう意味でという訳ではありませんが、
母子家庭には「母子寡婦手当」という社会保障制度があります。しかし父子手当なんて存在しません
ある意味、女性だけが恵まれている面もあったりはするのも社会なんです。

ですから反面、中には死別などで父子家庭のご家庭もあると思いますが
、「父子手当」という社会保障も、子育てしやすい環境という点では必要な制度とも思います。(現在、全国で16万3400世帯の父子家庭世帯があるそうです。)

このような諸々なことはヨーロッパでは当たり前なんですよね。



話は戻りますが、

父親の子育てへの関心を増やすということは仲々難しいことです。

日本の古き良き時代なのかどうか、侍の時代から受け継がれた男女の立場と言う価値観風習は、いまだに永続しています。
社会保障の面では、戦後からの高度成長時代の「男女平等推進化」の後押しにより女性の社会進出は進みました。
しかし、特に田舎の方の農村地帯などに行った際に、顕著に見られる、「男は外で仕事、女は家事」に代表される、男女の「俺は…」だとか、「男は…」という言葉で片付けられてしまっている事が多いとは思います…。

今のお父さん方が子どもの時代は、最も国が成長し、全てが右肩上がりの時代でした。その親たち(祖父母)は、黙っていても、周りと同じ仕事さえやっていれば、年功序列のみで給料も上がっていった時代ですから、
夫(父親)が仕事で、妻(母親)は専業主婦というパターンが最も多かった時代です。、

対して時代が変わり、女性が頑張る世代になった今でも、
その子どもたちは親を見て育ったので、
低成長時代・自分の親たちの時代とは違って給料は上がっていかない…のに、
生活が大変なのは自覚してきているので、妻もパートやフルタイムで「上がらない収入」の補填に出ます。家事や子育てだけでも大変な労力なのに、仕事もするという、なおさら女性は忙しくなります。
そんな女性が頑張っている現実の中、男たちはまだ…、
心のどこかに、男は仕事のみでいいんだと思ってしまっている意識が強い人が多い為、
結果的に、すなわち夫は、子育てに参加しようという意識はまだまだ低い…
という構図
なんですね。


私は、男が仕事はして当たり前だと思いますし、それでパチンコに行ったり居酒屋に寄ったりして「上司や会社の愚痴」を言う暇があれば、早く帰って、子どもと会話をしたり、住んでいる地域のボランティアなどをしてもいいと思うのです。そこで出来る人脈もあるでしょうし、それが仕事につながることだってあると思いますし、人として自己実現の意味で何かが見つかるかもしれません。
何よりも、人として心の成長があると思うんですよね。
また、
今の世の中、どんな大きな会社でもいつ潰れてしまうか分からない時代です。経済の仕組みも欧米化し、超優良企業でも、いつM&Aで吸収合併などにさらされてしまうかもしれない時代です。

どんなに塾通いをして晴れて東京大学へ入学、めでたく卒業後は一流企業へ…という人が、簡単に職を失ってもおかしくない、「個人の社会での実力」がモノを言う時代です。
夫婦とて、今や「いつ夫が職を失って収入がゼロになったとしても、妻が収入を得て支えていかねば」という、
2馬力は当たり前の世の中…、

むしろ2馬力でないと大変なことになってしまうかもしれない…。
『結婚前からそういうリスクマネジメントを二人で話し合うべき』ことも必要な時代になってしまったのです。

そうなると、男が女が…などということでなく、二人で全てのことを分担するのが必要になってきます。
それが、夫婦間にイヤでも(笑)必然的に「会話」が生じてくることになるのでしょうし、子育ての面でも、夫が興味を持つことになる。
むしろ、好影響になるのではないでしょうか?


PTAなどで多くの保護者の皆さんにお話しする機会の度に、
「ご主人は、子供さんの様子を見るという建前で、1回でも多く学校へ遊びに来てください!」と叫びますが、仲々×××…。
ご主人が来る家庭は少ないのが実情で、又、父親参観や日曜参観などだけでは行きにくいという声も聞きます。また、「学校への敷居」を高くしてしまっている学校側が、工夫が足りないのもあるのかなぁとも思っていたりします。

もっと、父親に…父親だからこそ、子育てに関わって欲しいのです。単に、子供の様子を見るため…、子供との会話の材料のため…で、いいのです。
例えば、営業や外に出ることが多いお仕事のお父さん…、いくらでも学校に遊びに行けるはずなんですよねえ…。
『1人の父親は百人の教師に勝る』という諺もあるほど、父親の役割って大切なんです。
何かの「きっかけ」と「勢い」で、子育てにのめりこんだ揚げ句に、数年経ってからそのことに気付く私のような人が増えていって欲しいものです。

ただ、都会と地方は、当然ながら傾向やスピードが違います。イイ意味で、「
地方」はまだ可能性があります。
校区でお世話している中で、「子どもに関わっている父親たち」の…、それはそれは「イイ顔」をしていることと言ったら…。田舎はまだ人の温もりを大切にします。
都会では本当に極めて少ない光景でしょう…。そういう意味で「
田舎」っていいですよね。



色々な人々が、
安心して子どもを育てることの出来る経済的システムが出来たら…


世の中は何をするにも経済活動という名の「お金」が必要です、生きて生活をするために「お金」は切っても切れない大切なものですが、安心して子育てが出来るということは、お金がかからないから安心できる…、という、

つまり、
経済的なことは国や行政が面倒見てくれるから、安心して子育てをしなさいね、という事なのではないでしょうか。

全てのことを求めるのは無理かもしれません
基本的には、資本主義の社会ですから、悪い言葉で言えば「弱肉強食」です。確かに経済という言葉にせずとも、生きて生活している私たちの世の中は、「サバイバル」の社会です。

しかしながら、明日の未来を背負って立つのは、
まぎれもなく、「子どもたち」です。
子どもたちを増やさなくては日本の未来はないと言っても過言ではないのです。

20年ほど前、今の日本と同じくらいの出生率だったデンマークという国では、特別な政策を行うことなく10年で出生率が倍近くに増えました
徹底的に、「女性が働きながら子育てをしやすくする行政サービス」を行っただけだそうです。
24時間安心してあずけることの出来る場所、育児休暇制度(これは男性にも半強制的な育児休暇を導入したらしい)などなど…。

今、日本もそれを求められているのです。

残念ながら、
国というものは、色々な地方からの「地元への期待」を持って代議士先生たちの政治活動がなされ、典型的な多数決で物事が決まります。そこには派閥や当選回数などのキャリアも必要ですし、何と言っても実質○○省の官僚が行政システムを作っているから仲々変わらない…、やむを得ないことです。

しかし、
地方は違います。市民の声が最も近い部分で直接声が届きます。
まさに地方分権です。
今や独自の条例制定により、独自のシステムを作ることが出来ます。地方が独自の条例制定をすれば、他の自治体が注目したり真似をしたりということがおき、ジワジワと全国へ拡がるはずです。
(事実、平成15年熊本市が制定した、「住民基本台帳の大量閲覧を禁止する条例」は、全国初の条例で他の自治体から注目を浴びました。)


ですから…、市民の一人として、
誰もがあまり声を出さない、「具体的で必要な子育て支援」を声を出してFPという仕事を通してコツコツと訴えていきたいものです。
熊本から、一つ一つ生活者に優しい制度を条例化でつくっていくことで、他の自治体で、真似をするところが必ずや出てきます。
その自治体の数が増えていけば、世論やマスコミも動き、やがて国も…、
後追いで、制度導入へと動かざるを得なくなっていくと思うのです。